2020/05/23

ポスト・コロナでないならば

「ポスト」は「〜の後」。いや厄災は終結したわけではない、今後ずっと潜在的な脅威として存続していくだろうから、「アフター・コロナ」という言い方ともども適切とはいえない、よって「ウイズ・コロナ」とでも呼ぶほかない...という物言いが流通している。そこでふと、英語のウイズに対応する古典語(ギリシャ語&ラテン語)由来の接頭辞は何だろうか、と思った。syn-は「一緒に」だからウイズに近いのだろうが、「シン・コロナ」なんていうとどこかのエヴァかゴジラみたいだ(どちらも厄災みたいなものだが)。con-もあるにはあるが、「コン・コロナ」も語呂が悪い。たぶん西洋諸語の感覚でも語呂が悪そう。おまけに一緒に何か行うようなニュアンスも感じる。強いて言えばcircum-「周辺・迂回」か? 「サーカム・コロナ」? いやしかしcircum-は移動経路を表すはずだから、動作を表す語ならまだしも、コロナのような名詞に直接つけるのもおかしいか。そのうち欧米のメディアに何かしらもっともらしい言い方が出てくるだろう。

2020/05/16

慶應義塾は一日も休業したことがない(福翁自伝)

福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会

そういえば5月だったよな、と思って確認したら、昨日、5月15日だったか。
学生のころは、この時期に三田に行くと案内の大きな立て看板が出されていたのを思い出す。今年はCOVID-19によるキャンパス閉鎖のため、講演会が流れたのは仕方ない。

が、今年は誰が講演するんだろう、まあ経済学は知らないから、すごく有名な人でも自分は知らないだろうな、と思って塾のサイトを見てみた。

池田幸弘氏ですか...って知ってたわ、自分。塾高からの同期で、大学では一年のときに偶々自由科目を一緒にとっていた記憶が唐突に蘇る。三田に行ってからも、ときどき世間話をする仲ではあった。そういえばこの間まで経済学の学部長についていたことも思いだした。長い間会ってないし、予定通り行われていたら、講演会に行きたかったなぁ。

2020/05/13

ここから発信



日々是綱渡。

Badland (Aug2004)



カナダはアルバータ州に化石採掘のメッカがある。バッドランドというところで、かつては石炭採掘でにぎわっていたとのこと。地層が褶曲していて、恐竜時代の地層が露出しているのだそうな。見てのとおり、荒涼たる奇景。なぜか「荒涼」には惹かれる。

バッドランドの中心部、ドラムヘラーにロイヤル・ティレル博物館がある。恐竜だらけ。入り口には復元模型が並んでいて、訪問客はジュラシック・パーク気分で写真をとっていた。





ふつう、化石の展示には「レプリカ」とか「ここの部分は補填して復元」というような説明がついていて、「な〜んだ、これとこれは石膏か」と内心で思いながら見て歩くのだが、ここのはみんな本物。「こ、こんなに完璧に保存されてよいのか!」と深い感慨とともに見て歩いたのであった。ステゴザウルスの「背中」とかトリケラトプスの「うなじ」には感動した。写真にはないけど、ティラノザウルス(ブラボー!)とか大型恐竜になると、「頭部は重くて構造上の問題があるのでレプリカ」と断り書きがしてあり、ホンモノの頭部はちゃんと別に展示されているという念の入りよう。館内では、掘り出した岩石のかたまりから貴重な化石を削り出す作業をガラス越しに見ることもできて、元・科学少年の魂をゆさゆさと揺さぶるのであった。

日本では夏のさ中だったが、この日のカルガリーは10度そこそこ。地元の運転手さんに「トーキョーじゃ11月並みだよ」と言ったら、「カルガリーでも11月並みさ」と返された。

星に住む人びと

暇つぶしの読書に、松井孝典『宇宙人としての生き方 アストロバイオロジーへの招待』(2003, 岩波新書)という本を読んでいた。



そのとき不意に、樹村みのりのマンガ作品を思い出した。この記事の題名がそれ。このお方、長いものを描かないし、アニメ化された作品もなし(たぶん)、絵柄も地味なので、花の24年組にしてはやや知名度が低い。シブイ目の作品が多いのだが、とても好きな作家である。最近もアマゾン明神のご宣託により、あれこれポチッとな、またポチッとな、と彼女の作品を少しずつそろえている。

「星に住む人びと」は、少女マンガ誌初出時にたまたま読んでいたく感動して、その部分を切り取って簡易製本して保存してあったほど。しかし引っ越しを重ねたりするうちに行方知れず。その後、長い間作品の要所だけは頭の中にずっと残っていて、ときどき脳内でリプレイしていたのだった。古本の情報もよく見るとあったが、2800円はさすがに高い。彩色豪華特別本とかで出ないかな。大人が読めるすばらしい絵本になりそう。



...というようなことを某SNSに書いたわずか数週間後。おぉぉっ!!と咆えてしまった。いやー、インターネット恐るべし。何とはなしに「星に住む人びと」でグーグルしてみたら、樹村みのり作品のリストを上げているサイトがヒットした。まあ、そこまでは想定内。しかし、偶然にも「再録情報」に出くわした!

『ネムキ2月号増刊 夢幻館』。それも今年。あわててアマゾンで検索したものの、マンガ雑誌の増刊号というと、うまくヒットしない。マンガだけあって、少し前の号などはとっくに品切れ(つーか、すぐに裁断だわな)になっている。

そこで、あわてて大学の生協に駆けつけて、取り寄せ依頼した。それが今日、届いたというしだい。

「フィールド・オブ・ドリームス」という映画だったか、願えば夢はかなうもの、というやつですか。いや、それとも「言霊」つーか、口に出したものは実体化するというやつですか。はたまたシンクロニシティか。何とも驚きなのだった。おまけに、再録情報を知ったサイトでは、よく読み込んでおられる方が紹介をされていて、今回のは実は再録ではなく全面描き直しだとか。30年も前の作品を地道に書き直す樹村氏もすごいアーチスト魂だが、再検証する読者もすごい。

というわけで、何とも夢のような話であった。まだパラパラめくっただけだけど、しっかり今晩は読むことにしよう。

最後のほうに出てくる、「ぼくたちは地球星人ですね」、「そう 宇宙人なんです」というやりとり、やっぱ泣けるわ。

平成生まれがもうすぐ成人になる今どき、1970年代だのベトナム戦争だのはもう思いっきり時代劇の世界。その頃に20才前後という設定だった主人公の親世代の太平洋戦争にまつわる思い出となると、世界観からして「学習」しないとだめなんじゃないか。中身の紹介はしないが、人生の一瞬の断面と、何十年という長いパースが交錯する描き方って、すごく好みなんだよな。

ちなみに、再録情報を拾わせていただいたソースは、neko's Pageというサイト様。こんな日記がお目にとまることもないにせよ、ここで深々と御礼申し上げます。

さらにその後、コミックスに収録されたことを知り、さらにポチッと。それが作品集『見送りの後で』(朝日新聞出版)。表題作もまんまの内容で、こっちが送られる日もさほど遠くないのーと思うと、しみじみしてしまう。

(初出:April & May 2007)

2020/05/06

はじめての語用論

加藤重広・澤田淳(編)2020『はじめての語用論−−基礎から応用まで』研究社

第一線執筆陣による、最新の語用論入門。全15章からなり、基礎概念の解説から、後半の応用的研究の解説まで、幅広いサーベイとなっている。


参考文献が詳しく、新しい研究も多数含まれており、この点でも信頼できる本となっている。

フェルメール猫?

光と影の具合がなかなか


2020/05/04

英語辞書について(フリーク編)

辞書の世界は奥深い。アビスである。私は第一層でうろうろするのが精一杯で、第二層すら恐ろしい。冬も去り、灯油のポリタンクを収納して心の平安を得ているのである。な、何を言っているのかわからねーと思うが、めんどい人はこちらへどうぞ。


自分は−−ある意味幸いにして−−本格的に辞書作りに参画したことはないのだが、周りには関係者がそれなりにいたので、それがどれほど畏怖すべきことかはわかるつもりだ。デジタル技術が発展する前は、辞書作りは人生と等価交換の事業だった(今でもそうかもしれないが)。

また、辞書を作る事業に参加しなくても、世の中には辞書蒐集家という人たちがいる。これまた恐るべき人たちで、私は幸いこのグループにも属していない。そもそも資金も保管場所もない。辞書の新版を買ったら旧版はたいてい処分する。

そんなわけで、以下の話は深淵をのぞき込みはするが、自らそこに踏み込んでいくことはしない、「夕闇に留まっている」輩による、一般人からすればマニアックな、けれども業界人からすればペラッペラなエピソードである。辞書に対する深い造詣と愛情ではなく、一点突破の偏愛から来る昔語り・自分語りということで。やっぱりめんどい人はこちらへどうぞ。


三田の英文科に進んで最初に習ったことの一つが「辞書の使い方」だった。辞書といってもOED (=Oxford English Dictionary)。時は19世紀、大英帝国の栄華が極みに達したころ、英語という言語のすべての単語の、最初の文献記録から「現代」に至る全ての用例を網羅する辞書を作ろうという企画が立ち上がった。それは数十年の時を経て、1928年にひとまず完成した。広く利用された初版が12巻、20世紀末に出た二版が20巻からなる。慶應の英文といえばもともと中世文学が王道であるから、古いテキストを精確に読むためにこの辞典の利用法に馴染むことは不可欠というわけである。なお、OEDのメイキング話は色々あるが、初代編集者の物語はCaught in the Web of Words、彼と調査協力者の一人の関わりを描いた物語はThe Professor and the Madman、どちらもおすすめ&日本語訳あり...というか後者は去年(2019)メル・ギブソン主演で映画化されていたことをさっき知ってびっくり。日本では2020年公開予定とあるのだが、どうなることか。

話は変わってCOD (=Concise Oxford Dictionary)、上の赤ジャケットの辞書である。手元にあるのは初版だが、1911年に出た本当に最初のものではなく、1914年に若干の補遺が加えられた版で、何刷かは記載がないが1925年刊行とある。それでも95年前のものだから、自分の手持ちの中では当然ながら最も古い本になる。なお、2011年には出版100周年を記念して、復刻版が出た。これを買った辞書好きはけっこういると思われる。CODはOEDの編纂と分冊ごとの出版が進んでいたころ、その基礎資料を使って一般読者が利用できる小辞典を作ろうという意図で作られた。しかし、OEDの「歴史主義」(過去には使われたが既に廃用となった語や用法もすべて年代順に記述)と「原典主義」(権威ある書き言葉テキストから用例を採取)を保ちつつ、一冊本の小型辞書を編むことは無理がある。結果、古い用法はふるいにかけられ、用例も短く示唆的なものに置き換えられて、全く新しい辞書が誕生した。情報を詰め込めるだけ詰め込んだので、略語は多いわ説明も「皆まで言わん」式だわで、決して使いやすくない。今時の実用にはさすがに適さないが、ときどき読み直してみると十分に楽しめる。

一つ二つ例を挙げると、19世紀から20世紀への変わり目に現れた単語がいくつか収録されているのが面白い。ためしに補遺部をZから遡って眺めたら、Zeppelinがいきなり目に入った。正に20世紀初頭の出来事である。乗り物つながりでいうと、飛行機という意味でのplaneはない。ただし、aeroplaneは本編にある。ついでにラジオは?と思って見ると、ラジオの意味でのradioはない(radioactiveは間に合ったようで記載があるが)。また、新語でなくてもgentleを見るとイギリスの階級(紳士・郷紳)としての意味が真っ先に出てくる。20世紀初頭なら、これは「歴史的意味(古義)」ではなかっただろうが、現代ではメインの用法ではない。辞書マニアならば、歴代の版におけるgentleの記述の変遷をチェックして楽しむことだろう。

このCOD初版は大学二年のとき、家の近所(いちおう大学町)の古本屋でたまたま見つけた。都心の大学が競うように地方移転する前の時代で、卒業生か退官した教授が手放していったのだろう。本屋ものんびりしたもので、お値段は1,000円ちょうどだった。英文科に進んで間もない時で、ある教授に「買ったほうがいいですか?」と尋ねたところ、「まあコーヒー何杯分かガマンする程度のことだから、買っとけば」と言われ、素直に従ったのだった。後になって知ったが、私の地元にあった大学は、慶應、東大と並んで東京における英語史研究のかつての一大拠点であり(移転して改組して名前を変えてまた元の名前に戻して、と忙しいあの大学である)、今にして思えばあの古本屋にはお宝がもっとあったのだろうな、とちょっぴり残念である。




さっき、OEDの編集方針を保ちつつ一冊本の辞典を作るのは無理だと言ったが、あれは実は事実ではない。手元にあるのは、「岩波 英和辞典」。初版は1936年、1958年に版を組み直して増補した新版が出て、自分はその17刷(1973年)を持っている。これが、偉大なる文化遺産なのである。いわゆるコンサイス版で、大型辞書とはほど遠く、1000ページちょっと。ほんの偶然で、高校に入る時にこれを買って、それから数年間使いこんだ。世間ではジーニアスが覇権を握るずいぶん前、研究社の英和辞典が一人勝ちだったころの話。

で、何がすごいって、OEDの「簡約版」をうたっているところ。英語題がIwanami's Simplified English-Japanese Dictionary、このsimplifyが何とOEDを簡約したという。初版で12巻におよぶ超大型辞書をもとに、そこから見出し語を2割くらいまで減らし、定義を煮詰めて簡約し、元のOEDの相当部分を占める大量の古典からの例文をピンポイントで選択し、という作業を経て作られたのだった。

...だけではない。「英和」である、「英和」。元のOEDの語義説明をあくまで参考に、日本語で語義の説明をしているわけだ。辞書の中心部が語義の説明だとすれば、要するにオリジナルで辞書を作るのと変わらない、いやそれ以上。しかも、取捨選択するには、OEDを通読&精読(!)せにゃならないわけで、もう神業以外の何物でもない。もちろん、日本人学生が学習用に使うことも考えねばならないので、独自の情報も補充されている。

OEDの特徴の一つである歴史主義とは、文献上早い時期に出た用法から順に語義を配列していくことである。だから現代では使われない古い意味用法が最初に出てきたりする。んで、これを小型版の英和辞書でやったのがこの岩波の辞書。他に例を見ないのではなかろうか。

だから、読むと面白いのなんの。よくネタにするのだけど、humourの第一義が「(人体をめぐる4種の)液体」(上の画像でわかるだろうか)。中世の医学および世界観における、体液の配合で体調やムードが変わるという説における用法である。もう一つ、大迫力の中世ネタがorderの語義記述で、最初の語義が「等級・階級」。「秩序」や「命令」など、現代でよく使う語義は後に回されている。で、「等級・階級」の下位分類が「社会の階級」、「職業の同じ人々の団体」、それに続いて(これ盛り上がるところ>)「天使の九階級」。セラフィムから始まってケルビム、ソロネ...と続く。いやー、中二病刺激しまくりだわ(当時は高校生だったけどw)。もちろん、今どきの学習用辞書にはこんな情報はあるわけない。

そういえば辞書を読みながら、中二病心を刺激する語があると、そこのページに折り目をつけていたことを思い出す。今見直して、パッと見つかったのが、ultima Thule「世界の果て、極点、極北の地」(苦笑...果てしなく苦笑

当時書こうと思っていた小説モドキのネタにでもしようと思ってたんだろうな。他にも見返すと雅語・特殊な単語、神話関連の単語とかに折り目の印がついていた。もっとも、たかが高校生、まして大学付属で受験と無縁だったこともあり、知っている単語も少なく、大学生くらいなら誰でも知っている単語、reminiscence「追憶」とかkaleidoscope「万華鏡」なんかに印をつけているあたり(きっと当時は雅語だと思ったんだろう)、なかなかアホっぽい。

実は少し前、岩波の編集の人と話す機会があって、この辞書の話をしたのだけれど、たまたま知らなかったので(辞書部じゃなくて科学系の人だったし)、自分なりの妄執を整理しておこうと思った次第。最近は岩波もオンデマンドに注力を始めたそうだから、再びこの辞書が世に出ることがあったら胸熱だ。なんせ、自分にとっては「宝具」の域だから。

英語辞書について(ノーマル編)

Macで標準装備の英語辞書を使う

PC上では良質な英語辞書が利用可能である。網羅的な情報を提供する余裕はないので、自分で把握できる範囲で言うと−−

ここではMac OS環境について。そもそも自分のMacに辞書アプリが標準装備されていることを知らない学生もときどきいるので、その確認をしよう。<アプリケーション>フォルダに入ると、<辞書>というそっけない名前のアプリがある。



これをドックにドラッグすると、ドックに常駐するのでいつでも使える。しかしこのアプリ、標準設定では英語辞書が出てこないようである。そこでアプリ立ち上げ後、<辞書>メニューから<環境設定>を表示する。



ここではアメリカ英語の辞書を追加しているが、もちろんその下にあるイギリス英語の辞書でもOK(両方見えるようにするとちょっと使いにくいかもしれない)。なお見ての通り他の言語の辞書も豊富にあるので、ついでに登録すると便利だろう。


アプリ画面をもう一度見ると、辞書が追加されているのがわかる(上の画像は見づらいが)。これはシステム標準のアプリなので、ネット環境がなくても使える。



ネット上の英英辞典

ネット上の辞書も無料で利用可能なものがたくさんある。とはいえ、日本のユーザーがよく使うサイト、例えばWeblioなどでは、英英辞典はまだ充実していないようである。紙媒体の時代からの老舗の定評ある学習者用英英辞典としては、次のものがある。どれもイギリス系。色々いじってみて、インターフェイスが自分の好みに合うものを一つ選んで使うとよいだろう。


アメリカ系も一つだけ。


上に四つあげたイギリス系辞書は英語を母語としない学習者向けで、単語の説明に使うボキャブラリーも難しすぎないものにするよう配慮されていて、学習者が注意すべき語の用法についての情報も含まれている。Merriam Websterは学習者向けでなく、母語話者も含んだ一般ユーザー向けであるが、単語の説明は明解で使いやすい。Thesaurus=類語辞典も提供されている。

なお、Merriam Websterはスタンドアロン(ネット接続不要でマシン上に本体を置ける)アプリとしても無料でダウンロード可能。iOS、Androidどちらのバージョンもあるので、システム環境が変わっても同じように使えるメリットがある。語源情報も記載があり確認したい時は便利である。

英英辞典を使うとどんなメリットがあるか、類語辞典はどんな使い方ができるか、などは授業で実際のテキストに即して話していきたい。