2021/04/19

28言語で読む「星の王子さま」世界の言語を学ぶための言語学入門

風間伸次郎・山田怜央(編著)2021『28言語で読む「星の王子さま」世界の言語を学ぶための言語学入門』東京外国語大学出版会

言語学という分野の入門書は数あれど、こういう切り口の本はたぶん初。「その発想はなかった」とも言えるが、仮に発想があったにしてもそうそう実現できない、そんなタイプのユニークかつ貴重な本である。

 


題名のとおり、「星の王子さま」の28の言語の翻訳版から抜粋したテキストが収められている(ただし、同一箇所のパラレル訳でなく、順次ストーリーの進行ごとに言語が替わる、リレー式)。「星の王子さま」は非常に多くの言語で出ていることで知られ、旅行先で現地の言語版を買ってコレクションしたり、という人も時々見かける。ちなみに箱根には星の王子さまミュージアムもあって、充実した展示がある。

風間・山田両氏によるこの入門書は、多言語比較を真っ正面から提示することで世界の言語の多様性にふれつつ分析のための基本概念を身につけていくことを可能にしてくれる。東京外国語大学の豊かな多言語環境から生まれた成果である。

言語学の入門授業をするさい、分析データやエクササイズなどは自前で準備することが多い。いわゆる練習問題集のようなソースブックもあるにはあるが、日本で出たものはまだ少ない。この本はそうしたギャップを満たしてくれる。冒頭約70ページが分析上の概念の解説(簡潔だが精度は高い)となっていて、その後にていねいなグロスつきのテキストが続く。ここからどう展開して面白い授業にするかは、正に講師の腕の見せ所、授業を受ける学生も、出された課題に対してどれだけの知見を引き出せるかは知恵の見せ所...というだけでなく、語学好きの読者であれば、あちこち目を通すだけでも楽しいこと間違いなし。研究者、学習者、一般読者、誰にとっても役に立つ一冊と言える。

なお、帯には「まえがき」からの抜粋がある。 言語にかかわる人の心に響くメッセージがこめられているので、ぜひ本書を手に取って中身を読むことをすすめたい。


2021/04/11

鈴木孝夫教授

『 三田評論』4月号に、西山佑司氏による追悼文が掲載されている。本年2月に亡くなられたとのこと、最大限の畏敬とともに、ご冥福をお祈りしたい。

鈴木孝夫1996『教養としての言語学』岩波新書

 


ここで、例によっての昔語り。私が大学に入った頃は鈴木氏は毎週木曜日5限に「言語」という講義科目を日吉で毎年担当しておられた。大教室で行われた文学部の看板授業で、単位登録していない他学部の学生もけっこう聴講に来ていた。自分を含め、この授業をきっかけに言語学に興味をもった学生も多い。当時のノートはまだ手元にあるが、私が受講した年の内容がほぼ再現されているのが、上記の新書。いわゆる「教科書的な言語学」の概説とは違って(もっとも、「教科書的な言語学」など鈴木氏は笑い飛ばすだろうが)、言語の面白さを独自の切り口から鮮やかに示した名著である。言語(学)について学ぶのであれば、何よりその面白さにふれることが第一だから、この本はその意味でおすすめ。

鈴木氏はいわゆる「弟子をとる」ということをしなかった(ちなみに「師匠をとる」こともしなかった)。私が三田に進んでから、大学院の授業は随時開講されていたが、履修する機会は残念ながらなかった。他に、文学部の「言語学概論」を何年かおきに担当されていて、これはいくつかの学科では必修だったのだが、鈴木氏が担当の年まで自分は待つぜぃ、みたいな仲間が何人もいたのを思い出す(結局、私の在学中は一度も担当がなかったのは残念)。だから、直接の接点は日吉時代の授業だけということになる。それでも、音声や語の構造と比べて意味論という分野はまだ開拓の余地がたくさんあるという話を聞いて、私もそっち方向に関心を向けたように思うので、受けた影響は大きかった。

鈴木氏は著作の非常に多い方だったし、単発での講義・講演はよくなさっていたので、お考えに接する機会はけっこうあった。極めて早い時期から英語中心のグローバリズムの凶暴性を指摘し、しかしルサンチマン満載のアンチ英語論陣を張るでなく、英米の支配から自由となった独自の国際語としての英語を提唱されてきた。同時に、国際語としての日本語という考えをあれほど早い時期に出されたのも驚くべきことである。

 「タタミゼ」という言葉がある。元はフランス語で、ある時期からの鈴木氏の著作にしばしば登場する。「タタミゼ効果」については、例えばこんな記事もあるのでどうぞ。こうしたアイデアが即効性のある(=数ヶ月後に学会発表できるような)研究テーマになるかというと難しいとは思うが、問題意識として頭の中に置いておくことは重要である。

なお、SFCとの関連で言うと、キャンパス立ち上げ時の言語関係のカリキュラムデザインのバックボーンなったのが鈴木氏の思想である。それは現在に至るまでのSFCの多言語主義、特に非印欧語を積極的に取り入れる背景となっている。1990年代の時点でアラビア語やマレー/インドネシア語を英語、ドイツ語、フランス語と並ぶ言語科目として導入し、しかも英語必修という今なお多くの大学が課している「枷」を軽々と外してしまったSFCの先進性はあらためて銘記してよい。鈴木氏の訃報をいくつか見ていたが、NHKによる訃報はSFCとの関わりについてふれている。

学問研究というのは、ある程度までマニュアル化された継承可能な部分と、その人独自の洞察なりスタイルなりによって成り立つ部分と、両方あると思うが、鈴木氏の場合は圧倒的に後者の比重が大きい。つまり、あれは決して真似できない。ワンアンドオンリーである。デンマークの王子ならI'll never see the likes of him againと言うだろう。せめて私たちが見習っていくところがあるとすれば、徹頭徹尾自分の頭で考える姿勢だろうか。といっても、頭の出来が違いすぎるので、こちらの頭から生まれてくる考えは取るに足らぬものになってしまうのではあるが...

なお、NPO法人 地球ことば村という団体は、鈴木氏の研究・思想と結びつきのある活動をしている。興味のある方はぜひ。

 

2021/04/04

春よの





 写真はあちこちの公園にて。にぎやかな桜も、目立たない草花も、どちらも尊い。