2021/05/31

ベーシック英語構文文法

 大谷直輝 2019『ベーシック英語構文文法』ひつじ書房

構文文法(Construction Grammar)は創始者であるC.J. フィルモア氏が慎重な性格であったせいか、創始者自身による「原典」が存在しない。同氏が教えていたカリフォルニア大学バークレー校での文法理論の授業で使っていたテキストは一部で非公式に流通していたものの、理論的な教本として広く読まれたわけではない。結果、同氏とその共同研究者によるいくつかの専門的な個別研究が理論的な指導書の役割を代わりに果たすこととなった。

そんな中、日本でも入門的な紹介はさまざまな形で現れてきたが、本書は英語をホームグラウンドとする人にとっては格好の手引きとなっている。

 

自学にも適しているし、ある程度学んでいる人でも自分の知識の整理に加えて新たな課題の発見のきっかけとなるのではなかろうか。10章は「談話と構文」、11章は「構文の習得」となっており、さらに12章は「これからの構文研究」を語っている。新しい研究への展望を欲する読者にも役立つ本となっている。

追記:上記「入門的な紹介」 の一部がICCG4 (The Fourth International Conference on Construction Grammar)の公式ページから読める。Linksのセクションにある、Introductory Essays on Construction Grammarのページ。pdf版が上がっていない記事についても、興味のひかれたものを図書館で読むとよいだろう。年代的にはだいぶ前になるが、基本的な考え方を知る助けにはなる。

 

日吉(Jun. 2007)



 

大日本帝國聯合艦隊は、大戦後期に横浜市内のさる所に地下壕を設営してそこに司令部を移転した。現・慶應義塾キャンパス、特に付属の高校(慶應義塾高等学校、通称「塾高」)周辺である。

ある時期までは出入り口の管理も厳重でなかったが、いたずら半分で入った人間が酸欠だか何だかで事故が起きたので、それ以降は決まったときに管理人の許可を得て入れるようになった、とのこと。

 

保存会ではそれなりに頻繁にイベントをやっているそうだが、今回のような公開ツアーは毎年梅雨時に開かれるそうで。前から存在は知っていたので、知り合いのつてを頼って、ついに参加を果たした次第。この日も雨だった。リアルタイムで当時を知る方々は、まだご存命の方もいらっしゃるとのことだったが、今回はやや若い(といっても60−70代くらい?)の方が案内して下さった。

あの戦争といっても、漠然とした観念しかないわけで、こうした施設を見て感じることも、おそらく現実とは離れているのだろうけど、目についたこと、気になったことはやはりいくつもあった。

例えば、施設の頑丈さ。物資が本格的に欠乏するより前に作られたとはいえ、今でも核シェルターとして通用するんじゃないかというくらいだ。「地下壕」という言葉からは、背をかがめて狭い坑道を進むというイメージがあるが、そんなものではない。ドーム状の通路はいちばん高いところで3メートルくらいあったのではないか。幅も車がラクに通れるくらい。居住性もかなりよい。上級士官用のスペースなどはことに設備もよかったそうだ。内部は基本的に当時とほとんど変わっていないそうで、湿っぽくもひんやりとした空間は、戦争末期も同じだったのだろう。

上の写真は天井をとったもの。電球そのものは取り外されているが、見ての通り木製の取り付け部は残っている。ロウソクでもランプでもなく、当時最先端だった蛍光灯をとりつけていたのだそうだ。


 

順番は前後するが、これが入り口。

 

内部はこんなぐあい。備蓄スペースもそうとう余裕をもって作られていた。考えてみれば、海軍にしてみれば最後の戦力をすり潰した沖縄戦の通信や、終戦の玉音もここで聞いていたということか?ガイドの方によれば、沈みゆく大和からの通信は痛ましいもので、被弾して何度傾いたとか報告するうち、やがて暗号電文でなく、最後には平文の電信が届いたとのこと。やりきれぬ話である。

以下は妄想だが、「終戦のローレライ」という小説がある。この作品のキーの一人に、浅倉大佐という狂気をたたえた人物がいる。複雑に入り組んだ地下壕の横穴あたりから、いきなり彼がぬっと出てきそうな錯覚をおぼえた。

 

外に出れば、梅雨のさなかの青々とした雑木が茂る(坂が滑ったんで手ぶれご容赦)。短いタイムトンネルの終わり。こうした会があることを知るきっかけとなった人(母校の先生だが)は、当時は「国民学校」で穴掘り労働をさせられという。ここの地下壕かどうかは聞きそびれたが、どこも同じものだったのだろう。




2021/05/12

The sound of silence

このサイトの書き込みでは音楽ネタはあまり投入しないようにしてきた。まあこんなのも書いたが、音楽は食欲や性欲など本能に関わることと似て、個人差が激しいので書いてもしょうがないわなと。ラーメン好きかどうかもわからない相手に、二郎系のお店の味の「系統樹」を蕩々と語っても鬱陶しいだけしね(なお私は二郎マニアではないw)。

今日のネタは、英語学習というexcuse付き。プロジェクト英語Bの授業ページでは(何ともminusculeだが)随時learning tipsを出している。そこでリスニング向上のために洋楽を聴き込むのはあーだこーだと書いた。で、一曲紹介。公式サイトから。


1982年、S&Gのセントラル・パークのコンサートから。Ten thousand people and maybe moreで地響きのような歓声があがるところは正に神降臨。ギター一本で演奏しているので、英語が聴き取りやすい。一方、歌詞は暗示が散りばめられていて英語自体のシンプルさに比してメッセージの方は難解である。S&Gに限らず、詞・詩は特定の人や物事を描いているように見えても、そこから抽出されたイメージなりメッセージなりに時空を越えて私たちは共感をおぼえる。1960年代末のアメリカと2020年代の私たちの間には相当の隔たりがあるけれども、この曲は心に響く、あるいは個人的な思い込みを受け容れてくれる。

そのつながりでネットを見ていたら、こんな文章に出会った。一年前に書かれた、東京在住のカナダ人によるものである(この記事が公開されたOxford Centre for Life Writingには色々なエッセイが掲載されている。ブックマークして折に触れて読んでみるとよいかも)。

Not Just Coronavirus: Disturbed’s “The Sound of Silence” Cover

現在、東京エリアのCOVID-19蔓延状況はこの記事が書かれた時よりも悪化している。The sound of silenceはこういう「響き方」もするんだなと思った。なお上記のエッセイで言及されている、Disturbedによる同曲のカバー(2015年)はこちら。これも公式サイトから。


エッセイの著者が東京在住なんで、Draimanってドラえもん?などと一瞬派手なボケをかましたが、もちろんそうではない。The sound of silenceの元曲はメロディーの良さとフォーク調のサウンドゆえにイージーに聴けてしまうのだが(そう聴かせてしまうところもすごい)、そのメッセージの深みに触れようとすれば、実はこれほどの圧力と熱量が必要だったのかと思い至る。ヘビーメタルの面目躍如でもある。