2021/12/31

構文と主観性

天野みどり・早瀬尚子(編)2021『構文と主観性』くろしお出版

本書は同編者による『構文の意味と広がり』(2017)の続編と言える(こちらもおすすめ)。題名のとおり、どちらも第一線の研究者による構文研究を集めたものである。一つの枠組みを厳密に前提としてはいないが、「形式と意味の慣習的なペア」として構文を見るという点では共通している。余談ながら、天野氏は日本語学、早瀬氏は英語学が本来の専門で、本書は二つの研究伝統の交流を見せてくれる。

 


認知・機能言語学、特に英語学と日本語学の分野で、良質なケーススタディーを読みたい向きにはとりわけすすめたい。学部のゼミや大学院で毎回一編ずつ取り上げてディスカッションとか良さげだ。

なお本書の「隠しテーマ」の一つは(いや、隠れてもいないかw)、文法化あるいはより広く機能拡張である。個人的には小柳氏、青木氏の論考が収録されているのは嬉しい。この方面に関心をもつ人はとりわけ本書の所収論文に新鮮な発見の喜びを見出すことだろう。

それでは皆様、どうかよいお年を。

 

地震が来ると時計が止まる

この間、唐突に思い出した。

家が壊れるような大厄災ではない、 震度2か3くらいの地震でも昔は時計が止まったものだった。こんな話が通じるのは何歳くらいまでだろうか。いや、自分ですらずっと記憶の古層に沈んでいたわけで、例えば小説にそのような描写があったなら、もはや注釈が必要だろう。

昔、我が家には古い掛け時計があった。こんな感じ:

(From Wikipedia 振り子時計

時を刻むための一種のペースメーカーが振り子なのだが、地震の揺れでガタンと止まる。場合によっては振り子が外れてゴトンと落ちる。止まってしまったら、振り子が正しくぶら下がっていることを確かめてから手動で左右にスイングさせて再始動させる。こんな風な、ある時代には自然でスムーズであった身振りでも、数十年経てば何やら面妖なものに成り果てる。なおWikipediaには「地震があると往々にその時刻をとどめる証拠となる。広島、長崎への原爆投下の際にも爆発した時間で止まった振り子時計が残されている」という記述があるが、こうした文章があるのはもちろん日本語版だけである。

もっと短い言葉でいえば、「吊り革」(もはや革製は見かけない)、「下駄箱」(下駄の利用者はほとんどいない)、あるいは「チャンネルを回す」(円形のダイアル型のチャンネル切り替え部がTVから消えてどれだけ経つだろう?) も様変わりの例だ。将来はEVが普及したら「エンジンをふかす」なんて言い方も消えるのだろう。

連想はさらに続く。広瀬正氏に「もの」という異化作用の教則本のような短編あるが(『タイムマシンの作り方』収録)、これって、そんな未来じゃなくても出てきそうな話じゃなかろうか。ショート・ショート好きならば一読をおすすめする。

 


 

などと書いてはみたが、別に教訓だの主張だのがあるわけでなく、雑事のさなかに偶々思いついたことを書き留めただけである。まあ、今年はこんなところで。

 

Merry ...

クリスマスがChrist=キリストのMass=ミサ、というのはけっこう後になって気がついた。たぶん大学にいたころ(遅いって)。出くわす単語の語源を片っ端から想像する習慣はないのだが、これはちょっと考えればわかる例。

そこで駄洒落好きとしては、他の宗教でも「マス」はありか? 仏教ならブッダマス? Buddhamasなんてありか? とかなんとか。

で、Google検索したら、マジあったw Dharma WheelというサイトではBuddhamas Carolなんてのもあって、微妙に脱力しつつ小笑い。リンクは貼らないがYouTubeで聴けるので、興味のある方はどうぞ。「きよしこの夜」のメロディーで、仏教僧にふさわしい詞がついている。