2021/12/31

地震が来ると時計が止まる

この間、唐突に思い出した。

家が壊れるような大厄災ではない、 震度2か3くらいの地震でも昔は時計が止まったものだった。こんな話が通じるのは何歳くらいまでだろうか。いや、自分ですらずっと記憶の古層に沈んでいたわけで、例えば小説にそのような描写があったなら、もはや注釈が必要だろう。

昔、我が家には古い掛け時計があった。こんな感じ:

(From Wikipedia 振り子時計

時を刻むための一種のペースメーカーが振り子なのだが、地震の揺れでガタンと止まる。場合によっては振り子が外れてゴトンと落ちる。止まってしまったら、振り子が正しくぶら下がっていることを確かめてから手動で左右にスイングさせて再始動させる。こんな風な、ある時代には自然でスムーズであった身振りでも、数十年経てば何やら面妖なものに成り果てる。なおWikipediaには「地震があると往々にその時刻をとどめる証拠となる。広島、長崎への原爆投下の際にも爆発した時間で止まった振り子時計が残されている」という記述があるが、こうした文章があるのはもちろん日本語版だけである。

もっと短い言葉でいえば、「吊り革」(もはや革製は見かけない)、「下駄箱」(下駄の利用者はほとんどいない)、あるいは「チャンネルを回す」(円形のダイアル型のチャンネル切り替え部がTVから消えてどれだけ経つだろう?) も様変わりの例だ。将来はEVが普及したら「エンジンをふかす」なんて言い方も消えるのだろう。

連想はさらに続く。広瀬正氏に「もの」という異化作用の教則本のような短編あるが(『タイムマシンの作り方』収録)、これって、そんな未来じゃなくても出てきそうな話じゃなかろうか。ショート・ショート好きならば一読をおすすめする。

 


 

などと書いてはみたが、別に教訓だの主張だのがあるわけでなく、雑事のさなかに偶々思いついたことを書き留めただけである。まあ、今年はこんなところで。