2022/12/31

社会言語学の枠組み

井上史雄&田邊和子 (eds.) 2022 『社会言語学の枠組み くろしお出版.

社会言語学という分野は歴史も長く、研究者の裾野も広い。概説書も充実している…と思っていたが(いや、それはそれで確かなのだが)複数著者による広い範囲をカバーしたコンパクトな入門書は案外見かけない。ちょうどいいタイミングで出てくれた本と言える。

 

 

学部の言語関連の入門的授業(「言語」とか「言語と文化」とか「言語と人間」とか)で使うのにも好適。「社会言語学」と銘打たない授業で使い、初手からこの分野に引き込める。

社会言語学の基本トピック−−性差、年代、地域、場面、などの社会学的属性と言語の関係−−に加えて、意味論(堀江)、語用論(小野寺)、談話分析(メイナード)と通じるトピックが含まれており、 その意味でも言語一般の授業には向いている。同時に、社会言語学を専攻するようなゼミや演習では、この本をバックグラウンドリーディングとして指定することもできるだろう。個人的には国際化社会における言語接触についての章があるとよかったと思うが、関連トピックは第3章「言語間の格差」でカバーされているので、そこを切り口にサーチすることもできるだろう。

 

Key Concepts in Experimental Pragmatics

Yoichi Miyamoto, Masatoshi Koizumi, Kazuko Yashiro, and Uli Sauerland (eds.) 2022. Key Concepts of Experimental Pragmatics. Kaitakusha.

通常科学というものが仮説、実験、検証、という手続きを踏むものだとすれば(もちろんここに「思弁」や「形式化」も加わる)「実験的」という形容をするのは冗長とも言える。研究者個人の内省に訴えることが効率的な「心理実験」であるというような戯れ言はもはや通用しない。本書はそんな時代の過渡期にあって、アプローチは多様であるが、語用論の諸問題に通常の意味で「経験的」な方法で取り組む試みを集めたものである。

 

方法論の探索という点では、第二部が演習などで使いやすそうだ。章題だけ再録すると:Event-related potentials, Self-paced reading method, Experimental pragmatics using Functional Magnetic Resonance Imaging (fMRI), Cross-linguistic formal pragmatics, Computational modeling, Statistical methods for experimental pragmatics, Experimental methods for the acquisition of pragmaticsとなる。全く同じことをやるのは難しいにしても、主観的移動、比喩的意味、ブレンディングなど、認知意味論の研究トピックもまたこうした方法論で研究することは可能だろう(興味深い実績が出ているのも知ってはいるが、今後はさらに増えることを期待)。

2022/12/28

古文書発見:The penultimate truth in grammatical theory

 

 
1988年の春学期レポート、5月提出だったか。私が留学していたUC Berkeleyでは、大学院に入るとproseminarという授業を秋、春連続で履修することになっていた。要するに学説史で、秋はWilliam Jonesに始まる印欧比較言語学から始めて(音変化は特にみっちりやった、Ohala教授にあらためて深く感謝)、ヨーロッパとアメリカの構造主義まで。続く春学期は生成文法の誕生から「現代」、といってもこの時期なのでいわゆる拡大標準理論まで。担当がRobin Tolmach Lakoff教授だった。1970年代のいわゆるlinguistics warsの当事者から生の回想を聞くことができたのは僥倖だった。書くように話す人は何人か知っているが、Robinはとりわけ言葉の選択が的確で、それ以上はないだろ、という的確な言葉を常に講義においても紡ぎ出していた。私が直接知っている言語学者の中では、言語感覚の鋭さはトップクラスである。なおlinguistics warsについてはHarrisのこの本がスタンダードな文献。特に心理学や認知科学の人には強くおすすめ。
 

Robinの授業では、1970年代の文法理論の論文のうち、 Haj Ross論文のレポーターを担当した。指定された論文の他にも、面白がって色々コピーを集めて簡易製本した。期末レポートはそれらを元に当時なりの「現代」の観点から評価を検討するようなことを書いた…と思う。レポートの題名のthe penultimate truthというのはP.K. Dickの小説の題名のパロディーである。そして勢い余ってAppendixを確か2−3ページ書いた(成績評価の対象外という了解で)。PCのファイルを整理していたら、その最初のページのスキャンデータが発掘されたので、ここに再録したという次第。しかしなぜこのページだけスキャンデータがあったのかは謎だ。

ご覧の通り、言語学の考察とはほど遠い、ほとんどポエムのような文章である。微妙にディコンストラクション風味もあって気恥ずかしい。しかし談話というきわめて流動的な活動を通じて言語の構造を見直すと、通常の言語研究で考えられるような「構造」はもはや主要な認識対象ではなく、個々のusage-eventの集合と散布の中にこそ真の研究対象がある…などと言い直すと、最近の集団的思考(population thinking)的な言語観につながらなくもない。統計的な観点からの、言語カテゴリーを固定したものと見ないばかりか、プロトタイプ構造すら「事後的」であるとする観点は見知った時からやけに親近感を覚えたのだが、はるか昔に自分が直観レベルで感じていたことと相通じるのだと再認識。
 

古文書発見:Ancient comic market


 

何度か引っ越しをして、ときおり整理をするというほどでもなく、うず高く積もった山を置き直したりしていると、長い間の堆積物が「褶曲」してひょっこり「露頭」と化す。えらいこっちゃ。

そんなある日、こんなもんが出てきたのさ。いつとも知れぬ、遙か古代のコミケ(だと思う)での戦利品。いや、自分はあまり行きつける習慣はなかったんで、人からもらったのかな。とにかく、ワープロのない時代、同人誌は「タイプ印刷」できれば御の字、そんな予算(と時間)のないピープルは当然手書きだったもんね。

でも、アホを確信犯でやってます的なパロディー精神は昔も今も変わりない。


念のために言っておくと、元ネタは萩尾望都、「続・11人いる! 東の地平 西の永遠」。さすがに全編スキャンしてアップするのは気が引けるので、冒頭のみにて。

おまけに、こんなのもあった。今見ても笑える(というか、こういうナンセンス&パロディー系のギャグセンスは変わりようがないんだが)。

 

(初出:2009年08月)