2022/12/28

古文書発見:The penultimate truth in grammatical theory

 

 
1988年の春学期レポート、5月提出だったか。私が留学していたUC Berkeleyでは、大学院に入るとproseminarという授業を秋、春連続で履修することになっていた。要するに学説史で、秋はWilliam Jonesに始まる印欧比較言語学から始めて(音変化は特にみっちりやった、Ohala教授にあらためて深く感謝)、ヨーロッパとアメリカの構造主義まで。続く春学期は生成文法の誕生から「現代」、といってもこの時期なのでいわゆる拡大標準理論まで。担当がRobin Tolmach Lakoff教授だった。1970年代のいわゆるlinguistics warsの当事者から生の回想を聞くことができたのは僥倖だった。書くように話す人は何人か知っているが、Robinはとりわけ言葉の選択が的確で、それ以上はないだろ、という的確な言葉を常に講義においても紡ぎ出していた。私が直接知っている言語学者の中では、言語感覚の鋭さはトップクラスである。なおlinguistics warsについてはHarrisのこの本がスタンダードな文献。特に心理学や認知科学の人には強くおすすめ。
 

Robinの授業では、1970年代の文法理論の論文のうち、 Haj Ross論文のレポーターを担当した。指定された論文の他にも、面白がって色々コピーを集めて簡易製本した。期末レポートはそれらを元に当時なりの「現代」の観点から評価を検討するようなことを書いた…と思う。レポートの題名のthe penultimate truthというのはP.K. Dickの小説の題名のパロディーである。そして勢い余ってAppendixを確か2−3ページ書いた(成績評価の対象外という了解で)。PCのファイルを整理していたら、その最初のページのスキャンデータが発掘されたので、ここに再録したという次第。しかしなぜこのページだけスキャンデータがあったのかは謎だ。

ご覧の通り、言語学の考察とはほど遠い、ほとんどポエムのような文章である。微妙にディコンストラクション風味もあって気恥ずかしい。しかし談話というきわめて流動的な活動を通じて言語の構造を見直すと、通常の言語研究で考えられるような「構造」はもはや主要な認識対象ではなく、個々のusage-eventの集合と散布の中にこそ真の研究対象がある…などと言い直すと、最近の集団的思考(population thinking)的な言語観につながらなくもない。統計的な観点からの、言語カテゴリーを固定したものと見ないばかりか、プロトタイプ構造すら「事後的」であるとする観点は見知った時からやけに親近感を覚えたのだが、はるか昔に自分が直観レベルで感じていたことと相通じるのだと再認識。