抜け殻ではあるが――
よく見ると、真ん中にいる。公園を歩いていたら(というか一種のボランティアのお勤め中)発見。この日は陽射しが明るく、たまたま気がついた。
Toshio Ohori / Emeritus, Univ. of Tokyo
期待とともに劇場への道すがら、何とはなしに、ツェッペリンはリフ中心の構造の美だとすると、クラシックならベートーベン?(パープルはバッハだし)などと与太なことを考えていたら到着。やはり第七はヘビーメタルよの、と思ううちに開幕。
なんと冒頭、劇伴が第七の第二楽章。シンクロニシティここにあり。こんなことはめったにない。作品に引き込まれる、というより自分から全力で助走つけてダイブした感じ。素晴らしい作品だった。映像が奥深く美しい。劇場は祝日にてほぼ満員だった。
なおエンドロールでオケの演奏はブルガリアの楽団ということを確認した。菅野よう子作品でもよく起用されているし、サントラづいてるのかな。
最近の暮らしについてご報告。端的に言えば、自分がキッズだった頃に想像していた、あるいは自分が習った先生方から断片的に聞いた昔話の世界にいるような、想像上の生き物としての「大学教授」にちょっと似た生活をしている。
具体的には、通常の授業は週2つ、プラス院のセミナーが1つ。出勤は週2日。会議やその他の雑務(という名の本務)は全くなし。授業はほぼ自分の専門の話のみ。あとは専門・趣味を問わず本を読んだりブラブラ散歩をしたり、そしてものを書いたり。要するにマイペースでやっているということで。
もっともビジュアル的には、和服も着ないし髭もないし、風呂敷で通勤するでもなし、古のイマジナリー教授にはなっていない。和服は一応持っているが慣れないものを着て転ぶのも怖いw ここは帽子とマントで出かけるべきか。それだと同じイマジナリーでも怪人になりそうではあるが。
画像はこの夏に神戸のRRG学会に行った時に立ち寄った海洋博物館併設のカワサキワールドで展示されていたビンテージ扇風機。イマジナリー教授にはお似合いかも。
【2025年3月の定年退職に伴い、研究会は閉店しました。認知・機能言語学の入門者向けの情報ソースとして残しておきます】
ようこそ、言語科学の研究会へ! 言語研究の参考となるような情報は、随時Tidbitsタグをつけてここのサイトに公開していきます。また、認知言語学関連のメタリンクも用意しました。卒業プロジェクトに取り組んでいる人、これからテーマを探して深める人、それぞれだと思われるので、進度に合わせて授業時間を有効活用したいと思います。
大堀壽夫(慶應義塾大学環境情報学部教授)最終講義
"Cx-conの構造:Construction Grammar, Role and Reference Grammar, 及び記号論的機能"
1 日時:2025年3月18日
14:00~ 受付 14:30~ 講義
2 場所:慶應義塾大学日吉キャンパス「来往舎」1F シンポジウム・スペース
〒223-8521 神奈川県横浜市港北区日吉4-1-1
(東急東横線、東急目黒線、東急新横浜線/横浜市営地下鉄グリーンラインから徒歩1分)
交通アクセス・キャンパスマップ:https://www.keio.ac.jp/ja/maps/hiyoshi.html
3 退職記念パーティー 【受付締め切りました】
同日17:00~19:00
場所:慶應義塾大学日吉キャンパス「来往舎」1F ファカルティ・ラウンジ
2024年度理論言語学講座(後期)についてご案内:
受講期間 10月7日(月)~10週間 19:00~20:40(各講座100分)
※祝祭日は開講しません
課目 【講義概要は研究所ホームページをご覧ください】
月曜: 日本語文法理論Ⅲ 川村大(東京外国語大学教授)
火曜: 語用論 松井智子(中央大学教授)
生成文法Ⅱ 高野祐二(金城学院大学教授)
水曜: 意味論の基礎 酒井智宏(早稲田大学教授)
木曜: 言語学概論 長屋尚典(東京大学准教授)他4名(各講師が2週ずつ担当)
語形成と語彙の意味 由本陽子(大阪大学名誉教授)
金曜: 英語史概論 堀田隆一(慶應義塾大学教授)
言語哲学 峯島宏次(慶應義塾大学准教授)
講義形式: ZOOMによるオンライン講義 ※ZOOMはリアルタイムのみの配信です
受講料:1課目 25,000円(税込)※学生半額
お申込み https://www.tokyo-gengo.gr.jp/
申込受付期間 9月30日(月)10:00AMまで
【来年(2025年度)は私も担当予定です。年明けに詳細が公開されると思います】
Slides of the talk "Constructional change of English regardless (of): From a complex preposition to a free-standing discourse marker" (Aug. 27) are now downloadable.
Hilpert, Martin (2019, 2nd. ed.) Construction Grammar and its Application to English. 邦訳. 開拓社.
9月に出ます。しばしお待ちを。 日本認知言語学会でお披露目となりました。
書店にも出ました。大学生協にも入れてもらう予定です。
東京五輪の時も垂れ幕が出たが、今回も。
つぶさにTVを見ているわけではないが、活躍の報が伝わってくる。健闘に拍手。
今回は馬術競技で92年ぶりのメダル、戦前の西選手以来、というニュースを見て、ああ、バロン西!と突然思い至った。8月のこの時期は戦争関連の記事やTV番組もあり、その連想もある。バロン西つながりで言うと、栗林中将が松代と縁が深い人だということをこの本で知り、硫黄島…地下壕…松代大本営…と断片的知識が符合した時はうはっ、と思わず声をもらした。
五輪で注目を浴びた人は多いが、個人的には五種競技で初のメダルの佐藤選手に特に拍手喝采したい。要求されるスキルの全く違う種目で優れた数字を出すというのは、論理的に考えてアスリートの頂点。「論理的」というのは古代ギリシャの精神だしね。いつぞやの五輪で(調べたら1984年ロスアンジェルスだった)、聖火の最終ランナーがかつての十種競技王者だったという話もあり、欧米では特に尊敬の対象となっていると思われる。もし将来日本でまた五輪を開催することがあれば、佐藤選手に聖火の最終点火ランナーになってもらってよいレベル。
ChatGPTが一般リリースされてもうかなり経つ。そういえば昨年度の期末(今年の1月)に出てきた英語のレポートの中にやけにこなれた文章が幾つかあったが、もう使ってた学生がいたのか? その後、今年度に入ってからはあれこれ会議などでも話題になった。ただ、単純なコピペによる剽窃と違って、採点する方も色々困る。ChatGPTにもそれなりのクセがあり、適切な答えを出すのが苦手な問いの出し方に気づいたりもしたが、技術の進歩は速いので、そのうち手玉にとられることだろう。
この種のAIについてはすでに大量の観察・考察が出されている。基本線としては、文章作成の有力な支援ツールとして使えると思う。元々、従来の記号計算(形態素などの記号を規則に従って配列することで文を生成)とは違い、統計的によくある語の結合からなるチャンクを出力してくれるわけだから(たぶん)、自然な表現になるのは当然だ。これは非母語話者にとっては非常に有り難いことで、おおよそ言いたいことは言えるが、ネイティブらしくない表し方になってしまった場合など、よりスムーズな表現に直してもらえる。
ここで、変化球。これは「発信型」を指向する言語教育の終わりを意味するのではないか? つまり、外国語による発信はAIのおかげでほぼ達成されたんじゃ?ということである。日本の研究者が国際的な成果の発信が十分にできないのは言葉の壁があるせいだと言われることがあるが、その問題はほぼ解決されたように見える。ぎくしゃくした英文を、AIが達意の英文に直してくれるのだから。これで海外での研究発表のハードルが下がるはずだ。ついでに言えば、ボイスチェンジャーみたいに発音の修正をリアルタイムでするガジェットも技術的には実現可能だろうから、口頭発表だってハードルは下がるだろう(何ならボイスアバターもあり)。
思えば平成が始まり、日本中で大学の教育内容や制度が大きく変わる中、そしてバブルの余韻さめやらぬ中、「国際化」のためには文字テキストを読んで辞書を引き引き日本語訳するような「受信型」の言語学習はもう古い、 これからは「発信型」だ、という声が世間を満たしていた。その頃から、そして今でも、「発信型」は英語の教科書、参考書、あるいは大学のカリキュラム改革における顕著なバズワードである。そういえば単語帳や文法書まで「発信型」というラベルがついていたが、あれは何だったんだろう。
だがしかし、言語を学ぶ、それも「教師つき学習」の必要性がなくなるのか、と言えばそうではない。これからは「受信型」学習の復権の時代だ、と言いたい。これは逆張りなどでなく、言語理論からも、そして教育上の要請からもむしろ順当な考えである。自分としては本当は変化球のつもりはないが、まあ世間的にはそう見えるわな、ということで。
・ポイント1、生成系AIは「解釈」をもたない(と思われる)。行間も読まない。ChatGPTを少しいじった限りでは、比喩や皮肉などの「ズラし」は苦手なようである。人間界でも、優れたコミュニケーターとは弁舌爽やかに一方的に話す人間ではなく(これはむしろ機械の得意分野だ)、相手の話に耳を傾け、言外のニュアンスまで読み取った上で相手に合わせて言葉を発することができる人間だろう。解釈の仕方を実践的に指導することは言語教育の役割の一つである。
・ポイント2、正しさの判断は誰がするのか? 解釈あるいは深読みは何通りもの可能性がある。解釈のスキルはすぐに身につくものではない。言葉や状況から世界の「モデル」を作り、それに照らして「察し」(論理的正しさの保証がない推論)をすることは、多数の試行を通して身につくものだろう。
・ポイント3、高度なリテラシーを身につける。クリティカル・シンキングに必要なことは何だろうか。言葉の細かい襞に分け入り、微妙な差異を把握すること。論理的な整合性と共に、その時代の社会的通念との整合性を測ること。証拠の妥当性を仔細に検討すること。そして人間としての皮膚感覚で是非を直観すること。これらはある程度マニュアル化できても、結局はかなりの部分が「手作業」になる。昔懐かし「訓詁の学」は、エリート教育としてのクリティカル・シンキングでもあったのだ。
・ポイント4、知識の組み替えをする。解釈した内容を非言語的な情報(すなわち概念)まで一般化&抽象化したら、それを組み替えることを人はしばしば行う。要するに「発想」のステージである。そうした発想に刺激を与え、展開させること。ここでも意志と価値観をもった「他者」 が必要である。
あれこれ書いたが、「良き受信者、高度な受信者」を養成できるのは、今のところ人間だけである。そしてそうしたスキルの重要性は、過去の時代と比べて、いささかも減少していないはずである。AI支援による発信スキル向上と、教師の支援による広義の受信スキル向上がうまく組み合わされば、新時代のより高度で効果的な言語教育が生まれると思うのだが、どうだろう。